« 前田利常 | トップページ | DAN HICKS & THE HOT LICKS »

2009年4月19日 (日)

前田利長

永禄5年(1562年)前田家藩祖利家の長男として
尾張国荒子城(現在の愛知県名古屋市)に生まれる。
初めは安土城で織田信長に仕える。

天正13年(1585年)秀吉により
佐々成政が支配していた越中国(富山県)が制圧されると、
同国射水郡・砺波郡・婦負郡32万石を与えられた。

慶長4年(1599)利家がなくなると、
豊臣政権を支えるために大坂にいた利長は金沢へ戻った。
豊臣家の力はおとろえ始め、
徳川家康が政治の実権を握るようになる。
家康暗殺事件の嫌疑をかけられ、
実母の芳春院(まつ)を人質として江戸の家康に差し出した。

慶長5年(1600)天下分け目の関ヶ原の戦い
(間に合わなかったといわれる)で家康の味方についた後、
西軍に与した弟の利政の領地(能登)と
加賀国の能美郡・江沼郡・石川郡松任が加領され、
加賀・越中・能登の合わせて120万石を支配する加賀藩が成立。
外様最大の大名として遇された。

慶長10年(1605)なおも消えぬ謀反の疑いを晴らすために、
弟利常と珠姫(2代将軍徳川秀忠の娘、後の天徳院)を結婚させ、
自身は新川郡22万石を養老領として富山城に隠退し、
家督を利常に譲り、難を逃れている(慶長の危機)。

慶長14年(1609)、富山城が焼失したため、
ただちに幕府に願い出て、高山右近に命じて射水郡関野に
新しい隠居城(高岡城)を築いて町を開く。

高岡の町には富山をはじめ、加越能3州から人々があつまった。
また、領内から呼び寄せた鋳物師たちに、
土地を与えて鋳物場を開設させた。
現在国の有形・無形民族文化財「高岡御車山祭」は、
利長が町衆に与えて曳かせたものが起源だといわれている。
山車は、もともと秀吉が聚楽第に、天皇などの行幸を仰いだ際、
使用した鳳輦を利家が拝領し、利長につたえられたものといわれる。

慶長19年(1614年)5月20日に高岡城で病没(梅毒と思われる)。
享年53。


参考
利長、利常プロフィール
金沢市キッズページ

|

« 前田利常 | トップページ | DAN HICKS & THE HOT LICKS »

偉人アーカイブス」カテゴリの記事